初めてアメリカに来たのは、高校時代のホームステイ留学です。その時に本当に多くの人に助けられ、アメリカの器の広さに感銘を受けて、いつかアメリカに恩返しをしたい、貢献したいと強く感じました。その後日本の大学に入学し、95年に大阪市観光局に就職しました。そこでは海外から来られるプレスの方に日本、特に大阪をPRするような仕事で、APECのお手伝いをしたこともあり、ネットワークが広がりました。日本で社会経験をしたことは、貴重な体験です。日本のビジネス常識もきっちりわかり、国際人として現在ニューヨークで仕事をする際の大きな財産となっています。
仕事はとても充実していましたが、アメリカで何かをしたいという思いが常にどこかにありました。又、大学在学中にイギリスに交換留学し、ヨーロッパ各国やアジア等世界を35カ国周りました。しかし、アメリカほど移民に対して寛大なところはないし、国として常にナンバー1であると同時にすべての中心であるという魅力と憧れの国は他にありませんでした。
そんな時、昔の上司より、アトランタでオリンピックがあるからビジネスインターンシップとして仕事をしないかというお誘いをいただきました。3ヶ月間無休のお仕事です。その後の保証もなく気に入られれば就職する道はあるけれど、気に入らなければそれで終わりです。日本のお仕事はとても良かったのですが、どちらを選ぶかとなった時にやはりアメリカに戻りたいという気持ちが強く、行けば何かしらチャンスがあると思って、引き受けることにしました。
スーツケース1個と40万円の所持金を持って、渡米しました。その半分は、車社会である為、足である車を直ぐに買わなくてはならず、残りで生活費を賄い3ヶ月一生懸命仕事をしました。アトランタでの仕事はオリンピック前のプロモーション、政府団や選手団そしてスポンサー、観光客の受け入れという内容でした。沢山の人と出会うチャンスがあり非常に面白く、努力して取り組んだおかげかスタッフの方々にも気に入られ、3ヶ月後にビザをスポンサーしてもらってそのまま就職することになりました。しばらくその仕事に就いていたのですが、オリンピックが終われば対日本のビジネスはどんどん減っていき、またそこで得られるものはすべて得た実感があったので、1998年にニューヨークに転職しました。ニューヨークを選んだのは、就職先のOpportunityが一番多かったからです。
ニューヨークではキャリアアップを目指す日本人に米系企業を紹介したり、アメリカ人に日系企業を紹介するというキャリアコンサルタントの仕事を、人材派遣会社で4年半行いました。その時本当に多くの新卒留学生と出会いましたが、大半の学生がビザやキャリアの状況を頭にいれずに留学に来ているという事実に直面しました。例えば卒業したらアメリカで就職したいという人が、大学のメジャー(専攻)と就職先が一致しないとビザを取るのが難しい事も知らずにメジャーを選んでいます。ただ留学をしたい一心だけでその先のキャリアアップのことまで考えていない、又、日本の留学カウンセラーの方々も全くそういうアドバイスをしてくれていない事が多いのです。日本では大学の専攻と就職はほとんど関係ありませんが、こちらではそれが直結しています。でなければビザを取るのはなかなか難しいのです。日本人留学生の10人中9人は、米国での就職事情、キャリア観等を知らずに、無念にアメリカを去っている方が非常に多かったのです。私は、こういう方達に留学する前から就職を目標にした留学カウンセリングしたいなと思うようになりました。又、日本以外に海外で学べる楽しさを共感してほしかったのです。
その後、2001年の同時多発テロ事件を目の当たりにし、「人生は短い、一回きり。自分のやりたいことをやろう!」と決心しました。そして事業の準備や資金集めをして、以前から考えていた「留学支援サービス」を立ち上げました。
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