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Japan Network Group, INC. (TV JAPAN)
取締役社長 
関野 光生さん
 
■ プロフィール
1966年、日本放送協会(NHK)に入社。報道局社会部、外信部にて、約20年に亘り記者職に従事。98年同局退職後、2002年現職に就任し、現在に至る。


諦めなければ、必ずや道は開ける。
時には、見切りをつけるのも大切だけどね(笑)
 
 「何かをやってやろうというときはね、もうとにかく“やるっきゃない”んですよ」。関野さんから開口一番に出た言葉だ。「ただやみくもにというのではなく、誰にアタックするのかキーパーソンをまず掴み、誠実に事を進めていく。その過程で、決して諦めないことが大切です」。約20年に亘りNHKの記者として現場に立ってきた彼。経験と実績に基づいたメッセージには、含蓄がある。


諦めない姿勢が実を結んだ、ロッキード事件取材

 “決して諦めない”。関野さんが身を持って感じた出来事は、今から約30年前のロッキード事件時に遡る。当時社会部に勤務していた彼は、その事件を任された駆け出しの記者だった。 

 「あるキーパーソンがいまして、その方は当時の航空業界や事件の裏工作についてよく知る人でした。早速話を伺いに行ってみたら、既に新聞社や放送局の記者がわんさか自宅前にいましてね、ドアは当然開けてもらえなかったですね」。

 その日から毎朝晩、同じ場所へ足を運ぶ日々が続いた。その度に門前払いを食わされたのは言うまでもない。「そのうちにね、記者が一人減り、また一人減り。でも僕は諦めなかった。気が付くと1ヵ月以上たっていて、ついには僕だけになっていた」。

 「ある日、その方の奥さんがインターフォン越しに “お入りください”と。ついに!と意気込んで玄関先に上がると、ご本人から“毎日来ている奴は貴様か!!帰れ〜!!”と、すごい剣幕で追い返されたのです。期待していただけに、かなりがっかりしましたね」。落胆しきった関野さんは、オフィスに戻りデスクに報告。しかしデスクに言われた一言が、彼を再び奮い起こさせる。
「僕のデスクは、“脈があるじゃないか。必ず落とせる”と言うのです。あの一言がなければ、僕はこの時点でおそらく諦めていたでしょう」。

 彼はその後もまた、朝晩と休みなく通い続けた。来る日も来る日も諦めなかった。そんなある日、やっと入口が開いた。彼のひたすらな姿勢に、ついには先方も腰を折り、取材に応じてくれるようになったという。

 「通常、記者というのはまず玄関で立ち話、その後応接間に通され、最後に茶の間へ、というのが通例なのですが、その時ばかりはいきなり茶の間でしたね(笑)。たいへんな特ダネが掴めた上に、後もその方にとても可愛がっていただきましたよ」。

 この出来事は、その後の記者人生における様々な困難に対して、“諦めない”ということを身をもって学んだ、忘れられない経験だという。

 「もちろん時には、見切りをつけるのも大事なときはありますよ。その判断はやはり経験を通してできるものだと思います。しかし、“これに命を懸ける!”と思ったら、簡単には諦めないことですよ」。力説する関野さんの顔は、様々な苦労話を懐かしんでいるようにも見えた。


手探り状態だった、イラン単独赴任

 その後外信部に配属になった関野さんは、1979年にイランで起こったホメイニ革命の3年目の年、首都テヘランへ単独赴任となる。当時外国に行ったこともなければ、現地語も話せない、さらにはイスラム教に関する何の知識もなかった。治安も悪く、混沌とした社会情勢の中、彼にとってはたいへん過酷な使命だったと窺える。

 「朝6時からコーランを朗々と読む声が聞こえる、イスラムの教えがすべてのたいへん厳しい国ですよ。今日何が起こるともわからない情勢の中、素材集めから取材、映像を衛星中継で送る手配、何から何まで手探り状態で、すべて一人でやりました」。抱えきれないほどの不安な日々の中でも、彼を支えたのは、件の“やるっきゃない”“諦めない”精神だったとか。

 「最初は一人ぼっちだったけど、そのうちいろんな人が助けてくれました。どこに行っても助けてくれる人は必ずいるんだなぁと思いましたね。人との良い関係性はやはり大切なのだなと、身をもって感じました」。


共に21世紀を引っ張る街、北京とニューヨークの違い

 さて、20年を越える記者生活を経て、現在は経営職に就いている関野さん。ニューヨークに来てからは、2年半の月日が経った。これまで様々な国々で活躍してきた彼にとって、この地はいつか記者として活躍したい、特別の場所だったようだ。

 「とてもやり甲斐のある所だと思います。ニューヨークの前に北京に4年駐在していたので、よく中国とも比較して考えます。ニューヨークも北京も、共通しているのは共に個人主義だということ。主張の仕方はどちらもすごいですよね。しかし、自分の主張したことが正当に扱われるアメリカに対して、中国はちょっと厄介でして、共産党というものが国の上にある。例えば僕が社長をしていた会社の社内にも党委員会というのがあり、後ろで全部コントロールしていました。具体的には、僕の下に中国人の副社長がいましたが、彼は党組織の委員長でもあり、本当にやりにくかったですね。両国は21世紀を 共に牛耳る国だと言われていますが、国際基準から考えると中国はまだまだ仕事やモノの考え方が遅れています。中国で仕事ができて、その後ニューヨークに来られたのも、運が良かったと思っています」。

 ニューヨークでの抱負は?という質問には、「テレビジャパンが視聴者の役に立つライフラインとして、生活に潤いを与えられるような番組になるよう、更に努力していきたい」と関野さん。今年の春以降の“笑点”、映画“虎さんシリーズ”に続き、大型公開番組の構想案も頭にある。彼がまだまだやりたいこと、そして“やるっきゃない”ことは無限のようだ。 
【2005年3月】


(取材・写真/安部春見 Kasumi Abe)

 

 


【略歴】
昭和16(1941)年生まれ。
昭和41(1966)年、早稲田大学 第一文学部 哲学科卒業。
同年、日本放送協会に入局。報道局社会部、外信部に勤務。
北九州放送局、北海道勤務を経て、
昭和59(1984)年、香港支局長に就任。
昭和63(1988)年、放送総局(NHKエンタープライズ)に出向。
国際メディアコーポレーション 映像事業本部長、
報道局アジアセンター 副部長
国際放送局制作センター 部長
山口放送局長、審議委員を経て、
平成10(1998)年、日本放送協会を退職。
同年、NHKエンタープライズ21に入社。
北京メディアセンター社長に就任。
平成14(2002)年、ジャパン・ネットワーク・グループ社長に就任。


「諦めないということと共に、運というものもあるけれど」と、取材中笑顔の耐えなかった関野さん。「笑う門には福来る」ということわざを自ら体現している人のような気がする。




開局15周年を迎えたTV JAPANの現在の加入者は6万人。目標の7万人が達成されれば、福だるまに片目を入れる予定とか。



TV JAPANで、
現在ドラマ「冬のソナタ」が
好評OA中!


思わぬところで難航!
アメリカ放送にまつわる秘話


 多くのリクエストに応え、アメリカでも放送が開始された「冬ソナ」だが、その裏には隠された苦労秘話があった。「放送にあたり、NHKと大元の韓国側からと、両者から別途放送権を買わなければならなかったのですが、著作権が役者、脚本家、監督、音楽の作曲家とプレイヤーなどと非常に細分化され、しかも大ヒットの後ということで、手続きが非常に難航しました。半分諦めかけていたときに、ある韓国人関係者との出会いでとんとん拍子に話が進み、オファーから1年たって、ようやく放送が実現されたのです。5月までの放送ですが、その後も韓国系のドラマ放送を引き続き考えていますので、楽しみにしていてください」。
 
【番組に関する問合せ】
Japan Network Group, INC.
TEL:1-877-885-2726
 


   
   
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