
1998年、アッパー・イースト・サイドに小ぢんまりとした、あるジャパニーズ・レストランがオープンし話題になった。名は「Donguri」。ニューヨークが、今のようなジャパニーズ・レストラン乱立時代になる以前の話だ。以来この店は、多くの人々に「これぞリアル・ジャパニーズ」と賞賛され続けてきた。
ところが、店主・藤田修司さんの健康面の理由から閉店の危機に。「こんな素晴らしい店を畳んでなるものか」と、当時、会レストランの料理長だった加川さんが後継者として名乗り出た。話はトントン拍子に進み、ついに今年の5月、Donguriが彼の手によってリニューアル・オープン。長年愛され続けてきた味と人気は、今もしっかりと受け継がれている。
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| 小ぢんまりとしているが、地元の人に絶大な人気。 |
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Donguriとの出会い。そして経営を任されるに至ったワケ
「元店主である藤田さんは、実は「瀬里奈」という日本料理屋で先輩としてたいへんお世話になった方です。私のことを信頼してくださり、“加川だったら、Donguriという名をそのまま使ってもいいよ”ということで、名前ごと引き継がせていただきました。この店はザガットでもたいへん高い得点をいただいていますが、その人気の理由は、やはり藤田さんの素朴でいて手を抜かない味でして、もともと私もこの店のファンでした」。
手を抜かない味とは?
「例えば、ダシ汁はダシの素じゃなく厳選した鰹節からとる、また御浸し(おひたし)一つにしろ、ちゃんとダシ汁から作るという、当たり前といえば当たり前なのですが、真心こめて、基本を忠実に守り続けるというスタンスから生まれる味です。彼のそんなスタンスは私と同じでした。合理化が主流の昨今、手間隙かけた料理を提供する今時珍しい店なので、自分の手で何とかしたいという気持ちになるまで時間はかからなかった」と加川シェフ。 |
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5 年間働いてきたレストランを去り、新しい店で再スタート。不安やプレッシャーはなかったのか?
「会レストランの場合は規模が大きいですから、器の1つ1つから質の良いものを追求するために、年に1回日本に買い付けに行ったり、釜めぐりをしたりしてきました。一方でDonguriは店もキッチンも小さい。あまりにもこれまでの環境と違いすぎるので、不安がなかったわけではありません。しかし考えようによっては、小さいだけに常にお客様に近い立場で、目の届くサービスができると思ったわけです」。
料理人としてのキャリアもまだ浅かった20代前半で、ニューヨークに転勤が決まり、右も左もわからぬまま、大組織の中のいわゆる縦社会で働き、悶々とする日々もあったという。そして、プロ集団の長として、現場を仕切っていた30代前半。今はどちらとも違う。器を日本に買い入れに行く代わりに、毎朝、新鮮な野菜の買い出しに行くことができる。そして料理だけでなく、店全体をまかされている立場。充実した日々だと語る加川さんの目は、キラキラと輝いていた。 |