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30年以上に亘って同じ場所でずっと1つのことに情熱を注ぎ込んでいる女性がいる。カズコ・G・ストーンがニューヨークに来たのは1973年。目的は、アメリカで絵本を出版するため。寂れた工場街だったノーホーにアトリエ兼住居を構え、ひたすら夢を追いかけた。今ではその工場群も影を潜めすっかり様変わりしたが、彼女の絵本に対する情熱だけは何ら変わっていない。好きなことを天職にしたいと望むのは人の常だが、それは信念を貫き、コツコツとひたすら努力をし続けた者だけが許される特権だということが、彼女の30年を振り返るとわかる。
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外国の絵本に憧れ、渡米したのだが…
倉庫街の名残がある重々しい鉄の扉。その向こう側には、カズコが33年に亘って住んでいる広々としたアトリエ兼住居が広がる。柔らかい光が差し込む心地よい空間。彼女は窓辺にある作業デスクに向かい、通算25冊目にあたる次作の下書きに取り掛かっているところだった。
「今でこそアメリカの絵本はカラフルだけど、私が渡米した頃のものは2色か3色刷りがメインでした。そんな時代に念願の絵本を、しかも4色刷りで出版できたのは本当に嬉しかったですよ」。
そう言いながら、74年のデビュー作『Monster Mary Mischief Maker』を見せてくれた。ニューヨークに何らかのコネがあったわけでもない。ただ外国の綺麗な絵本に憧れて、自分でもそれを出版してみたい、その一心でやって来たのだった。ところが来てみると日本で見ていた外国の絵本が、実はヨーロッパのものだったということを知る。
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| 「でも私は怖いもの知らずでしたから(笑)、とにかくアメリカでユニークな絵本を出版したいと思い、日本から予め用意してきた原画を携え、出版社に売り込みの電話をしたんです。まだ当時はアンサリング・マシーン(留守番電話)なんてない時代ですから、編集者が直接電話に出てくれアポイントは容易にとれました。ただいざ会ってみると、私のストーリーも原画もファンタジーだったので、アメリカ向きではないと断られました。当時のアメリカではプラクティカル(実用的)な内容の絵本が多かったんですね。それでアメリカ向きに全く新しいストーリーを考え、4色刷り用の絵本を描きました。それがこの『Monster
Mary Mischief Maker』です」。 |
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副職で乗り越えた困難期
自分の作品に自信があるなら すぐには諦めないこと
“自分が描きたい絵本を出す”という信念の元に、日米でこれまで24冊の絵本を手がけてきたカズコ。現在では毎年コンスタントに2冊は出版している。今から8年ほど前には、小林一茶の俳句を英語で紹介した大作『Cool
Melons Turn to Frogs!』も手がけた。日本のカルチャーをアメリカの子供たちに紹介するため、彼女が採算抜きでも作りたかったという念願の一作だ。このように絵本作家として大成した感のある彼女だが、ここまでの道のりは決して平坦なものではなかった。
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「大成なんて思いません。10年かけて作った作品がどこの出版社とも契約できなかったこともありますし、本当に軌道に乗るでは20年ぐらいかかっていると思います。それに、絵本だけでは経済的に困難な時代もありました。ステディな収入を得るために、趣味で続けていたハンドメイドのシルクフラワーで教室を持ったこともあります。パーソンズやFITなどのアート・スクールに、飛び込みで打診したんです。そうすると私の作品を気に入ってくれて、すぐにクラスを持つことができました。アメリカのすごいのは、そういうところですよね」。
つまり、やる気さえあればチャンスはいくらでも与えてもらえる。“アメリカ”のすごいところと彼女は笑うが、同時に“彼女”のすごいところでもある。持ち前のバイタリティと“絵本を作る”という信念で、幾度となく逆境を乗り越えてこられたからだ。そしてそのような経験を通じ、学んできたものも多いという。 |
「シルクフラワーを置いてもらえないかとヘンリー・ベンデルに持って行った時に、担当者が名刺をくれたんです。それで2度ほど電話してメッセージを残したんですが、コールバックがなかったので諦めたことがあるんですよ。でもその話を他のバイヤーの人にしたら“名刺を渡すというのは興味があるんだから、1度や2度で諦めちゃダメ。もっと(電話を)バンバンかけなきゃ”って言われ、なるほどアメリカでは絵本であれ何であれ、作品に自信があるのならそれぐらいしないとダメなのねということを学びました」。
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リスクを最小限にする為
交渉やマネージメントは慎重に
絵本作家といえども、どこのエージェントにも属していない彼女は、出版社選びからギャラの交渉まで、ビジネス的な側面からもマネージメントをしなければならない。
「エージェントを通せば、売り込みからギャラの交渉まで様々なことをしてくれるので、せっかく作った作品が出版社に売れないということもないわけですが、その分マージンを引かれるし、何より嫌なのは、エージェントの持ってくる仕事が私のやりたいことかどうかわからないから」というのが、自らマネージメントをする理由。 |
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自分の作りたいものだけを作り、自ら売り込む。今のカズコのように、作品に絶対的な自信がある限りこれがベストな方法だが、作品が売れないという前述のようなリスクは伴う。それを避けるためにも「企画と絵を2〜3枚先に見せて、出版社の反応を事前に窺うのは大切なことです」。
つまり、独り善がりを避けるためにリサーチは怠らない。そしていざ出版が決まれば、その後の交渉は慎重に進めることが重要だと言う。 |
「日本の場合、初期の段階で契約書にサインすることもないし、出版部数も直前まで流動的。逆にアメリカの場合は、ギャラから表紙カバーのデザインまですべてが契約書通りに進んでいきますから、サイン前の段階は編集者と特に慎重に進めなければなりません。ほとんどの契約書は出版社の都合の良いようにできていますからね。とは言っても、アメリカ人というのは会社のためではなく自分のキャリアの為に働いているから、こちらとしては“会社向け”のリクエストと割り切ってドライに交渉することができ楽ではあります」。
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作品が良ければ
絶対に買ってもらえる
彼女がひたすらに走り続けて30余年が過ぎた。時は21世紀。インターネットという便利なツールが台頭し、アーティストはコンピュータ上でその活動を世界中に一斉発信することもできる時代になった。絵本の絵もグラフィック・デザインで描かれているものが多い昨今だが、カズコはインターネットもメールも使わない。絵も未だに1つ1つ丁寧に手書きで仕上げている。
そんな人間臭い手法にこだわり続けているカズコ。今でこそ長年つきあいのある出版社には彼女の実績が買われているが、仮に出版社を新規開拓しなければならない場合はどうやって道を切り開いていくのだろうか?
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彼女は「そうねぇ」と少しの間考え、そしてこう答えた。
「アメリカの良いところは、周りの環境や状況に関わらず、作品さえよくて出版社の好みに合えば買ってもらえるんですよ。日本と違って、肩書きやキャリアなども関係ないし。だからやっぱりバンバン売り込むでしょうね。ただ、今の時代はアンサリング・マシーンにメッセージを残しても出版社から返事がこないのが普通。私だったら、原画からカラーコピーを沢山作って、絵本を出している出版社に片っ端から送るでしょう。そしてアメリカでは、出版社が作家にイエスにしろノーにしろ必ず返事をしなければならないという決まりがありますから、返事をもらえるまで諦めないことが大切ですね」。
※ 文中敬称略
【2006年3月】
(取材・写真/安部かすみ Kasumi Abe) |
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最新作「なーんだ なんだ」
童心社/定価840円(税込)
パンダの姿がだんだん現れる仕組みになっている、乳幼児向け絵本。
今秋にはその姉妹版「どーこだ どこだ(仮)」の出版も予定されています。 (問)童心社(日本国番号81)03-3357-4181(代)
http://www.doshinsha.co.jp |
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| 【略 歴】 |
| 東京生まれ。多摩美術大学グラフィック・デザイン科を卒業。 |
| 1973年 |
渡米し、ニューヨークにアトリエ兼住居を構える。 |
| 1974年 |
アメリカで絵本『Monster Mary
Mischief Maker』を初出版。 |
| 1975年 |
結婚。 |
| 1976年 |
長男出産。 |
| 1982年 |
彼女にとって初の日本語絵本『わにのアリゲー北の島へ』を出版。 |
| 1984年 |
長女出産。 |
| 1994年 |
やなぎむらシリーズの初版『サラダとまほうのおみせ』を出版。 |
| 1998年 |
代表作『Cool Melons Turn
to Frogs!』を出版。 |
| 2004年 |
乳幼児のための絵本『なーんだ、なんだ』を出版。 |
| ※総出版数は24冊。 |
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