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投資銀行
Roberts Mitani, LLC (ロバーツ・ミタニ)
創業者/マネージング・ディレクター
神谷 秀樹 (Hideki Mitani)さん
 
プロフィール

東京生まれ。75年に早稲田大学第一政治経済学部を卒業し、住友銀行に入行。84年、米投資銀行のゴールドマン・サックスに転職。92年に独立し、投資銀行のミタニ&カンパニー・インクを設立。95年に現社名に変更。豊富な経験とネットワークを駆使し、ニューヨークを拠点に世界中を舞台にした投資銀行業務を行っている。




92年ニューヨーク・ウォール街にて、
ある男が、たった一人で投資銀行を設立した。
それが、日本人一個人として、米証券取引委員会(SEC)に初めて認定された
「ミタニ&カンパニーInc」(ロバーツ・ミタニLLCの前身)である。
創業者である神谷秀樹は、これまで住友銀行(現・三井住友)、米投資銀行のゴールドマン・サックスを経てきた筋金入りのエリート金融マン。
世界中を又にかける投資銀行家が、なぜ大手企業を退職したのか、なぜビジネスの場としてニューヨークを選んだのか。 その真相に迫ってみると、人生の岐路で参考にしたい、いくつかのヒントが隠されていた。



永久就職で選んだ住友。 そこを去ったワケ

「銀行というのはとてもいい職場だ。銀行に入れば事業家がどのように成功するか、また失敗するかがわかる。しかしそこで一生を終わるのではなく、将来は事業を起こしなさい。銀行ではそのための勉強をしなさい」。これは、当時大学生だった神谷秀樹が初めてアメリカを訪れた際、そこで事業を営む親戚からもらったアドバイスである。

「言われたときは戸惑いましたよ。銀行という職場を選ぶ決定打にはなったけど、永久就職するつもりでしたから」と神谷。しかし何の因果か、その後の彼は、その言葉通りの人生を歩むことになった。住友銀行に入行した彼は、20代後半でゴールドマン・サックス(以下GS)へ転職、そして30代後半で独立し、ニューヨークで投資銀行を設立。現在はその会社、ロバーツ・ミタニLLCで、共同経営者のブルース・ロバーツをはじめとする人種も経歴も全く違う10人の才能ある社員と共に、技術資金をベンチャーキャピタルから調達すべく、日夜世界中を飛び回る日々だ。

そもそもバンカーとしての神谷を語る上で、まずは"永久就職"のつもりだった銀行時代の話から始めなければならない。神谷は住友銀行に通算9年在籍し、その間目覚しい成長を遂げてきた。例えば入行3年目で1年間のブラジル研修に送り出してもらい、若い国造りを学んできた。帰国後は、政府や国営企業に貸し付けるシンジケート・ローンの組成を行ったり、海外拠点の設置を手伝ったり、スイスの銀行の買収をしたりするなど、銀行経営そのものに触れる職務に従事。また、トリプルA格付けの取得や、ユーロ市場で都銀として初めて債券を発行するなど、新聞の一面を賑わす偉業も数多く成してきた。そのまま勤続すれば確実に出世したであろう会社を、なぜ去ってしまうことになったのだろうか。

「アメリカの"就職"は字義通りだけど、日本では"就社"なんです。 転勤や異動辞令は絶対。偉くなるためには支店長をして、銀行の運動会で旗を振らなければいけないし、海外店に出てもまずは駆け出しの総務係長から出直し。キャリアパスする上で避けられない"滅私奉公"がたくさんありました。また、地位が高い人の意見はすんなり通るのに、下っ端の案は通らず、聞く耳さえ持たれないことが多かった。多くの立派な上司に出会い、丁稚だった私を仕込んでくれた会社ですが"一生の場ではない"と思うようになりました」。



邦銀を退職し、一路、ウォール街へ

理想を叶えるために、 自分で自分を雇う
 
神谷は住友銀行を84年に退職し、経営哲学面で惹かれたGSに転職を決めた。当初はウォール街で2年ほど学び、日本に戻ってGSの日本法人を作ろうと考えていたが、到底短期間で勉強できるほど容易いものではなく、GSには在米日系企業担当として7年在職。その間、マツダの自動車工場やNECのテレビ工場建設のファイナンス、丸紅のヘレナ化学の買収、さらには日本企業への不動産の売却や邦銀からの商業不動産向けローンの調達など、ここでも多岐にわたる取引を展開している。

「GSではアメリカの企業金融全般を学ぶことができましたが、その毎日は気違い沙汰のスケジュールで、私生活は皆無。それに大手の金融機関では、各人の成功を測る尺度が"お金"だけになりがち。儲かる仕組みを次々と作り上げていかなければならず、過度な金銭的インセンティブを与えられた社員は、顧客の利益を損なっても会社の収益を上げようとする。私はそんな人間の欲に、段々と嫌気が差してきました。そもそもそういうものは私の理想とはかけ離れたものだったし、理想を叶えるためには自分で自分を雇う、つまり独立以外に方法がないと思ったのです」。

身を粉にしてがむしゃらに働けるのも30代まで。多くの投資銀行家が40歳までに燃え尽きてしまうように、彼もそうなることが目に見えはじめたという。そうこうしている内に永住権を取得。「これまでの企業がマンモス規模なら、自分が作る投資銀行はモスキートのようなもの。でもそこで自分の信じる業務ができるのなら退職して独立しよう」。
その決意は固かった。


2度目の退職  たった一人の船出

モスキート企業を興して、 失敗から学んだこと

先述の彼の理想のバンキングとは、顧客と投資銀行家と投資家の利害の一致を意味した。つまり、バンカーとしての報酬を、取引を斡旋するためにもらうのではなく、斡旋した事業が所期の目的を達成してからもうらようにする仕組みだった。一例としては、ワラント(※注)や特許料の一部を後から受け取る方法で、これらはいわば、彼らの主要な顧客であるベンチャー企業の"出世払い"のようなものであり、バンカーと企業双方にとって、長期的な発展を真に望んで取り組めるという利点があるのだ。

それを実現すべく、92年に彼はロバーツ・ミタニLLCの前身である「ミタニ&カンパニー・インク」という名の会社をたった一人でウォール街に興した。文字通り、無名で小規模の投資銀行だったが、これで晴れて理想を実現するためのステージは整った。そんな矢先に神谷はある失敗を犯し、そこから重要なことを学ぶ。

「他人をあてにするのではいつまでも始められないと思い、一人でエイヤーと始めたわけですが、それは失敗でしたね。自分の経営哲学に共鳴し、適切なアドバイスをくれるかけがえのないビジネス・パートナーと出会えてわかったことは、相談相手がいるのといないのとでは、成果の出方が格段に違うということです。その後、バンカーとして多くの事業家を見てきましたが、やはり失敗の多くが、一人でなんでもやろうとする、克己心の強い"頑張り屋さん"タイプのようです。他人の助けを求めることは勇気が要ることですが、相談することに躊躇してはダメですね」。

人は失敗してこそ、学びがあるもの。神谷も御多分に洩れず、人並み以上の失敗を重ねてきたというが、それに対して日本は厳しく、アメリカは寛容な国だということを、働きながら感じてきたという。
「GSで驚いたのは、失敗や間違いに対する寛容さでした。人は誰でも間違う、重要なのは間違えた後にどう改めるかということです。例えば住友では100億円稼いでも百万円焦げ付きを作れば出世が終わったけれど、GSでは大事な仕事をいくつか落としたとしても、それを超えるような大きな案件を決めればそれで良しだった。これはGSのみならず、アメリカ社会全体に言えることなのかもしれません。 減点主義の日本とセカンドチャンスを与えてくれるアメリカ。この点から見ても、私にはアメリカが合っていると思います」。


信念さえあれば、 修羅場は乗り越えられる。

さて、会社員時代に訓練され、独立してから大いに役立っている経験があるそうだ。それは"人がしていないことを初めて行う"こと。彼曰く「何か新しいことをはじめるとき、それが大企業であったとしても道具立てというのはたいてい整っていない。つまり新規事業に大きな経営資源などさいてもらえないことが多いから、限られた武器で戦うことになる。マシンガンがなければナイフで、それもなければ犬のように自分の歯で噛み付いて戦うぐらいの根性がなければ、何事も為すことはできないんです。そして一旦スタートすれば必ず修羅場が来ます。 修羅場を二回、三回越えてやっと成就させることができる。そこで踏ん張りが利くのは自分の信念を持っているか、そして経営哲学に自信を持っているかどうかです。それがひいては顧客からの信用につながります」


無名でも、エリートでなくても、 アイデアさえよければ、必ずチャンスはある。

世界を見回してみれば、企業家や発明家、ベンチャー・キャピタリストたちが次々と新事業を起こし、日々果敢に挑んでいる。しかしその多くは、大きなバックグランドがあったり、強力なコネクションがあったりするエリートばかりなのではと考えるのは、あまりにも浅はかなことだろうか。

「無名だからと嘆くことはありません。私の会社も起業した頃は誰も知らず、大企業が我々を相手にしてくれるのか不安でした。日本のある方に"あなたの案件は良いが、ロバーツ・ミタニなんて誰も知らない"と袖にされたこともあります。でも昔は住友も日本を一歩出れば誰も知らなかったし、ゴールドマン・サックスもゴールデン・カップスっていうバンドと区別できない人がたくさんいたぐらいなのです(笑)。 若い諸君に特に強調したいのは、"グッドアイデア"次第だということです。そのアイデアが本当によいものなら、世界はあなたを手放さないはず。なぜなら世の中には解決していない問題が山とあるからです。この未解決な問題は、つまりチャンスでもあるのです。もし一人一人がこれらを解決しようと挑戦すれば、それはさらに大きな発展を呼び、事業に成功する可能性は大いにあると思います」。


神谷は続ける。「でも残念ながら日本の大企業の9割は、無名の会社の良いアドバイスより、有名な会社のろくでもないアドバイスを好む。なぜなら、有名企業のアドバイスを得て失敗したときに、言い訳ができるから」。しかし世界規模で考えれば、知名度やバックグラウンドなどより、大切なのは個人のアイデア次第なのだということを、長きに渡り日米の金融業界を歩いてきた神谷は知っている。彼はもう一つの話を引用しながら、説明を付け加えた。

「一時危機に瀕したIBMがルー・ガースナー会長を得て見事に再生しましたが、復活劇の裏にはもう一人の立役者デイビッド・グロスマンという中堅社員がいました。インターネット時代が来ると直感したこの社員は、IBMの語源「インターナショナル・ビジネス・マシーン」を「インターネット・ビジネス・マシーン」という会社名に変える運動を一人ではじめた。賛同者は徐々に広がり、火の手のように会社内に広がっていき、結果、大型コンピュータの会社からインターネット時代を支える企業に生まれ変わることに成功しました。この話からもわかるように、 エリートが世の中を変えるのではなく、起点はいつも一個人なのです。 大多数の人が最初は理解しなくても、悲観にくれる必要はありません。すべての改革はいつもそういうふうに始まるし、同様に誰にでもチャンスはあるのです」。

「生まれ変わることの連続のようだ。変わることを恐れないどころか、変わらないことを恐れるようになった。だから単なる投資銀行家として終わるとは考えていない」と自分のこれまでの人生を振り返りながら、未来を見据える神谷。そんな彼が今後取り組んでいきたいことは山とあるが、その一つに"非営利目的投資銀行"を創るという壮大な夢がある。

「国は公共の福祉などを確かに手がけてはいるけれど、目的は大多数の人のためで、ほんの一部にしか恩恵が及ばないものは後回しにしています。民間企業が事業の対象とするものも、原則大きな市場があるもの。国の予算も民間薬品会社の事業も、癌とか心臓病など患者数が多いものに重点配分されますが、私が目指すものは、例えば世界に数百人しかいない奇病を治す薬の開発などです。なぜなら、こうした人々を救ってはじめて、世の中はより公平になり、社会は進歩すると思うからです。それには、莫大な資金も人々の協力も必要になってきますが、引退した投資銀行家や科学者、または世の中に出る前の学生たちを組織することにより、このような非営利目的の事業を営む投資銀行を創ることができるのではないかと思っています。このお金や名声よりも"充実した人生"という配分を得る事業は、課題があまりにも大きく、まだ遠い先の話になりそうでが、エネルギーが残っている内にぜひ実現したいことです」。

神谷の壮大なロマンは、チャンスがそこにある限り、これからもやむことはないようだ。


(※注)ワラント…株式を一定の価格で購入する権利。

※ 文中敬称略

【2006年6月】
(取材・写真/安部かすみ Kasumi Abe)


◆お問合せ
Roberts Mitani, LLC(ロバーツミタニ)
145 W 57th st. 21st fl, New York, NY
TEL: 212-582-9800
http://robertsmitani.com

【略 歴】
東京生まれ。
1975年 早稲田大学第一政治経済学部を卒業。
同年 住友(現・三井住友)銀行に入行。国際投融資部、国際企画部に従事。
1984年 米投資銀行、ゴールドマン・サックスに転職。
1992年 独立。投資銀行のミタニ&カンパニーIncをウォール街に設立。
1995年 顧問弁護士だったブルース・ロバーツ氏と共同経営で、ロパーツ・ミタニLLCに社名変更。事業拡大の基盤を築く。
2000年 フランス国立ポンゼショセ大学国際経営大学院の東京校で、客員教授として「コーポレート・リストラクチャリング」の教鞭を執る。
2001年 『ニューヨーク流 たった5人の「大きな会社」』を執筆。『文藝春秋』やオンライン・マガジン『日経ビジネス NB online』などで、経済や経営問題を論じている。

 



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