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女優
山村 美智(Michi Yamamura)さん
 
プロフィール

三重県生まれ。津田塾大学学芸学部英文学科在学中より、東京キッド・ブラザーズに在籍。1980年フジテレビに入社しアナウンサーとして活躍。1985年に同社退職後、女優として活動を再開する。2002年に自身が主演した2人芝居「私とわたしとあなたと私」で、初めて脚本、演出も手掛ける。翌年に吉川ひなのを迎え再演。2003年、会社員である夫の海外赴任に伴ってニューヨークへ。現在、「私とわたしとあなたと私」の英語版「I and Me & You and I」のニューヨーク公演実現に向け、日米を行き来しながら準備を進める日々。




現在、NHK大河ドラマ「功名が辻」にも、淀君の後ろ盾「大蔵卿」の役で出演中。


たまたま乗った運の流れの中で、自分がどこまでやれるか。だからどんな結果が出ようとも”チャレンジ”することに意味があると思えるのです。


女優・山村美智が2002年に初めて脚本と演出を手掛けた自身の主演作「私とわたしとあなたと私」。
2年連続で上演に漕ぎ着け、辛口評論家からも賞賛を受けたこの作品を「これからじっくり育てていこう」と思い始めた矢先に降って湧いた夫のニューヨーク赴任。駐在員の妻としてやって来た新天地で、一度は自分の居場所を見失いかけたという。
あれから3年。今の彼女は大きな野望を持っていた。それは、同作品の英語版「I and Me & You and I」をエンターテインメントの本場ニューヨークで上演するという、壮大な夢だ。


女子アナ時代を経て、ある出来事をきっかけに女優復帰

 ちょうど80年代の“ひょうきん族”世代であれば、誰でも女子アナ時代の彼女のことを覚えているだろう。局アナとしてビートたけしや明石家さんまらと番組に出演し、タレント顔負けのリアクションやコメントで、土曜の夜のお茶の間の笑いを誘っていたのは、今からかれこれ20年以上も前のこと。今でこそ女子アナといえばタレント同等の扱いを受ける花形の職業だが、堅い職業そのものだった当時としては、彼女は異色のアナウンサーだったに違いない。

  「当時のフジテレビは視聴率の低い暗黒時代で、私たち新人アナウンサーの仕事といえば、ニュースや天気予報を読むこととお茶汲みぐらいでした。その後同社の文化大革命とも言われる大きな改革があり、現在のような輝かしいテレビ局へと成長していったのですが、私がひょうきん族の担当だった頃はちょうどその変換期。先輩に“あんな番組に出て恥ずかしくないの?”と言われることもあったし、懺悔コーナーで貸衣装がズブ濡れになると自分でそれを買い取るか、直接謝罪に出向くかしなければならなかった。そして、そういうたいへんなことが実は多いのに、一般的には浮ついたイメージを持たれるというジレンマは常にありました。大学時代から女優をやっていた関係で、ドラマ出演の機会にも恵まれたのですが、女優一本でやられている方からすると「女子アナのくせに」というジェラシーのような感情を持たれ、アナウンサーとしても女優としてもどっち着かずの落ち着かない状態だったんです。それで大学時代からやってきた女優業に本腰を入れたいという気持ちが強くなり、フジテレビを退職しました」。

とは言ってもすでにアナウンサーとしては充分なキャリアのある彼女。その後もフリーとしてアナウンスや司会業をしばらく続けながら、女優としてのチャンスを待っていた。大きな試練はそのとき。ちょっとした誤解がもとで、ニュース番組の降板に追い込まれる。

「ちょうど三原山の噴火を伝えるニュースで、私が“そんな島に住まなければいいと言う人がいますが、島民の方にとってみれば島は本当に大事な故郷なんです”と言ったのを、最初の一節“そんな島に住まなければいい”だけをあたかも私が発言したように報道されてしまい、誤解が誤解を生んで収拾がつかなくなってしまったのです」。

フリーアナウンサーは半年契約だったため、当面のスケジュールがいきなり空白となった。しかしそんな彼女のもとへ『きらら浮世伝』という中村勘九郎主演のお芝居の話が持ち上がってきた。これが結果的に、女優に本格復帰してからの初舞台となった。

「きっとニュース番組をあのままやっていれば、この芝居の話はなかったでしょう。フジテレビ時代も、そして大学時代の東京キッド・ブラザーズ時代もそうですが、その時は辛い出来事でも、後で考えると一つ一つが繋がっており、すべてに意味があったように思います。そう考えると、流れでやってきたことも無駄なことなんてこれまで一つもなかったんだと思えるんですね



脚本や演出もこなすに至った作品の誕生秘話

 晴れて女優に復帰した山村は、その後精力的に映画やドラマ、お芝居と、活動の幅を広げていく。女優としての顔が定着し、もはや「フジテレビの元アナウンサー」という過去の肩書きで呼ばれることも少なくなった。そんな、女優として油が乗ってきたある日、彼女に芝居の脚本と演出を手掛けるきっかけが訪れる。

「新進女優のERINNと何かの折に盛り上がって “一緒に舞台をやろう”と意気投合し、はじめはERINNが脚本を書くということで話が進んでいたのですが、出来上がったものが作品として難しかったので、私が替わりに演出と脚本を手がけることになったのです」。

当初はストーリーにあてがなかったものの、とにかく1週間程じっくりとアイデアを考えてみた。そして浮かんだのが “諦めないことの大切さ”を伝える、大人の女性に向けた物語だった。

  「テレビを見ていたら、夜中の番組で森村誠一さんが“喫茶店から外を見ていると、歩いている人と人生を交換できたらどんなにいいだろうと思う”とおっしゃっているのを聞いて、“これだ!”ってピンときたんです。40代になると、若い頃と違って未来への不安とか絶望感を誰でも意識するようになると思うのですが、そんな自分への励ましの意味も込めて、同じくらいの世代の方の琴線に触れる作品になればよいなという思いから作品が生まれました」。

  この作品『私とわたしとあなたと私』は、2002年の初演に続き、翌年は吉川ひなのとの共演で2年連続上演。評判も上々で、辛口評論家からも絶賛されるものとなった。

  「もちろんどんな作品も人によって好き嫌いは分かれると思うのですが、嬉しかったのは、ひなのちゃんぐらいの若い世代から私の母親ぐらいの世代まで、いろんな年代のお客さんが観に来てくださったこと。それと、翻訳では第一人者で演劇評論家でもある小田島雄志先生が初日に来てくださり、後ほど分厚いお手紙とお褒めの言葉をいただいたときは感激しました。宝塚のある元女優さんに“この作品を見ているのと見ていないのとでは人生が違う”とおっしゃっていただいたときもそうです。 誰かの人生の一瞬をちょっとでも揺らす作品になったんだとしたら、そんな嬉しいことはないな、って」。



上演中に降って湧いた、夫のニューヨーク赴任

 さて、ニューヨークにやって来る動機というのは、留学やビジネスなど人それぞれに違うだろう。しかし彼女の場合、ニューヨークへは自らの意思とは関係なく、夫の転勤に伴ったのがそもそものきっかけだった。

「夫の辞令が出たのがちょうど『私とわたしとあなたと私』の再演中で稽古に明け暮れている時だったので、この先自分はどうしていけばいいんだろうと、ちょっとしたパニックになりました」。

千秋楽を終えて、3ヵ月遅れで夫の待つニューヨークにやっては来たものの、駐在員の妻というステイタスはアメリカで働くことが許されていない。そこで彼女は手当たり次第、語学学校やアクターズスクール、そして絵の学校などに通ってみることにした。

「描いた絵が褒められて、意外と自分にはこういう才能があったのねと知ることになったんですが、そのうち“私は絵をニューヨークに残しに来たの?そうじゃないよね”と自問しはじめたのです」。

  そのモヤモヤした気持ちというのは、大好きな芝居がここニューヨークではできない現状から湧き上がった自然な感情だった。まわりの日本人仲間から「英語に書き直して、ニューヨークで上演してみたら?」と言われることもしばしばだった。その度に「そんなたいへんなこと、絶対にできない」と突っ撥ねていた彼女だったが、中には熱心に電話をかけてまで懇願する仲間もいたほどだという。その情熱に突き動かされていった彼女が 「そこまで私とこの作品のことを応援してくれるサポーターがいるんだもの。ニューヨークで上演できるように、がんばってみようかな」という気持ちになったのは、2005年の春、彼女がニューヨークに来て1年半が経った頃だった。



日本のお芝居をNYのブロードウェイで

 そのような経緯で現在進められている「私とわたしとあなたと私」のニューヨーク上演プロジェクト。英語版のタイトルを「I and Me & You and I」と決め、まわりのサポーターらと、アメリカ人向けにセリフをすべて英語に練り直すことから作業ははじまった。一つ一つのセリフに思い入れがあるだけに、英語に直したり、文脈の関係でセリフを削ったりするのはなかなかたいへんな作業だ。

「日本語を英語にそのまま訳すような単純なことならこんなに苦労しなくていいのでしょうが、私がまずやらないといけなかったのは、セリフをアメリカ人独特の言い回しに作り直すということでした。それに何といっても、エンターテインメントの本場であるニューヨークで芝居をするというのはエベレストの頂点に立つようなものですから、プロジェクト自体、もう言葉にならないくらいたいへんなものなんですよね。サポーターの皆さんはとても有能な方々ばかりなのですが、やはり芝居に関しては素人。そこでプロダクションの「Gorgeous Entertainment」に話を持ちかけたところ、賛同してくださったので現在はそちらの主導で進んでいるところです」。

ところでアメリカの芝居は、プロジェクトの第一段階で日本には馴染みのない「リーディング」というものが必ず行われる。これは関係者のみの会場で、脚本を手にしながら本番さながらにセリフを朗読する作業で、プロに作品の内容を理解してもらい、また反応を確かめるための大事なプロセスなのだ。「I and Me & You and I」も構想から1年、この春やっとリーディング・プロジェクトまでを終える段階まできた。後は再度、アメリカ人の脚本家と一緒にセリフを練り直したり、配役や会場などを決めたりする作業などが残っているものの、リーディングまでを終えたことを考えると、実現まであともう一歩ということころだ。

しかし山村には女優としての大きな課題がもう一つ残っていた。それはつまり、日本人である彼女がどう英語のセリフで演じていくのかということだ。

「日本人の話す英語では限界がありますよね。セリフを暗記すればそれでいいっていうものではないし、それに舞台っていうのは予期せぬセリフが出てくるものだから、その英語のアドリブをどうキャッチしていくか、そんなことを考えるとものすごくプレッシャーなのだけど、これは自分の作品だから“私がやらなきゃどうする?”ってことですよね」。



運の流れの中で、自分がどこまでチャレンジできるかが課題

 そのような困難に敢えて挑戦するその原動力とは、どこから沸き起こるものなのだろう?

  「何もしないままだと、ただ絵の学校に行って先生に褒められた駐在員の妻で終わると思うんですよ。でもせっかくこちらにいて数年後に帰る身なのだったら、いる間に自分がこれまでやってきたことを何らかの形で残したいんです。もちろん、リーディングまで順調にきたものの、脚本もまだ完璧にできていないし、最後の最後まで気が抜けない部分はあります。脚本が完璧にできたとしても、会場が見つからなかったらそれでアウトだし、夫の帰国が決まれば私も一緒に帰らなければならない。でも、夫の海外赴任が決まったときもそうだったように、これは私の運の流れなんだっていう気持ちはいつもあるんですね。 たまたま乗っかった運の流れの中で、自分がどこまでチャレンジできるかっていうことなんです。万が一、私がいる間に上演が間に合わなかったとしたとしても、作品として残りさえすれば将来的に日本人でもアメリカ人でもこの作品を上演することができる。つまり、この作品やプロジェクトには色々な可能性が秘められていると思うんです。だから今やっていることが全くゼロなのではなく、“やっている”っていうことに、とても意味があると思えるんです」。

※文中敬称略

【2006年8月】
(取材・トップ写真/安部かすみ Kasumi Abe) ※写真/Suisho Moriguchi

 
◆日本語版のあらすじ

どんな境遇にも強く生き抜く若い風俗嬢と、人生に絶望し生きることに
背を向ける中年女子銀行員。この出会うはずのない2人が、ホテルの一室で
出会ってしまったことがすべての始まり。
風俗嬢が取り出した「人生を交換できるドリンク」。それを飲んだことで
中年女性と若い風俗嬢の中味が入れ替わってしまい…。
意外な展開からどんでん返しの結末を迎えます。


◆ 山村美智オフィシャルブログ
http://yamamuramichi.jugem.jp/

◆山村美智オフィシャルサイト
http://www.yamamuramichi.com/

◆初演「私とわたしとあなたと私」のHP
http://www.yamamuramichi.com/watashi/

◆再演「私とわたしとあなたと私」のHP
http://www.yamamuramichi.com/watashi2/index_f.html

◆「I and Me & You and I」についての問合せ
GORGEOUS ENTERTAINMENT INC.
電話:212-398-7145(日本語可)


【略 歴】
三重県生まれ。津田塾大 学芸学部英文学科に在学中より、東京キッド・ブラザーズに在籍。
1980年 大学卒業後、フジテレビに入社し、アナウンサーとして活躍。
1985年 同社退職後、女優として活動を再開する。
2002年 自身が主演した2人芝居「私とわたしとあなたと私」で、初めて脚本、演出も手掛ける。
2003年 「私とわたしとあなたと私」再演。上演期間中に会社員である夫の海外赴任が辞令され、千秋楽を終えた後ニューヨークへ。
2006年 NHK大河ドラマ「功名が辻」に出演しながら、「私とわたしとあなたと私」の英語版「I and Me & You and I」のニューヨーク公演の実現に向け、準備を進める日々。

※女優としてのその他の主な出演作

・映画「バトルロワイアルT&U」(深作欣二監督)
・映画「夜を賭けて」(金守珍監督)
・映画「愚か者」(阪本順治監督)
・ミュージカル「ステッピングアウト」(銀座博品館劇場)(2001)
・芸術座「もず」(2000)
など


 



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