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ニューヨーク市立大学経営大学院
(バルーク・カレッジ)教授
高田 博和(Hirokazu Takada)さん
 
プロフィール

1980年ノースウエスタン大学にて経営学修士を、1984年パデュー大学にて経営学博士号を取得。大学卒業後は、カリフォルニア大学経営大学院助教授を経て1992年よりニューヨーク市立大学経営大学院(バルーク・カレッジ)の教授となる。約26年にわたりマーケティングなどビジネス学全般やPh.D.の教鞭を執っており、グローバルな視点から見た新製品の普及プロセスなど、多方面の研究も行っている。東京大学経済学部客員教授、学習院大学経済学部客員研究員も兼任。




たまたま乗った運の流れの中で、自分がどこまでやれるか。だからどんな結果が出ようとも”チャレンジ”することに意味があると思えるのです。

マーケティングとは、ちょうど100年程前にアメリカで生まれた概念。
その誕生の国で、日本人教授がマーケティングを含むビジネス学全般を大学生に教えているという。
大学教授になって26年の高田博和。
「マーケティングを教えるのは本当におもしろい。
最初の数年は英語がわからなくて苦労しましたけどね」とあの頃を回想する。
なぜアメリカで教職に就いたのか? 苦労時代を抜け切る突破口は何だったのか?
教師人生のこれまでを振り返ってもらう。



留学先での出会いが、その後の人生を決めた

高田博和がビジネスをグローバル・スタンダードで勉強する必要性を感じたのは、日本で勤めていた某広告代理店時代のことだった。
「上司がイギリス人、お客さんがアメリカ人という英語がバンバン飛び交う環境だったけど、彼らの話していることや仕事内容がまるっきり把握できずに、恥ずかしい思いをしました。その時に初めて、本場で真剣に勉強しなければという必要性を、身をもって感じました」。

 マーケティング先進国のアメリカでビジネスを勉強しようと会社を退職し1978年に渡米。中西部イリノイ州にあるノースウエスタン大学で経営学を学んだ。ここでは現代のマーケティング・マネジメントの体系作りをした学者として世界的に著名なフィリップ・コトラーが、彼の指導教授として尽力してくれた。卒業後はPh.D.(博士号)を取得するため、インディアナ州パデュー大学へ進学。そこでも彼にとって、ある運命の出会いが待っていた。

「マーケティング・サイエンスという分野を世界で初めて築いたフランク・バスという方がPh.D.コーディネイターをやられており、彼がたまたま僕の担当になったのです。彼のことはそれまで知らなかったのですが、実はビジネス・リサーチの神様と称された人で、一昨年ノーベル賞候補にもなったたいへん有名な方。フィリップ・コトラー教授との出会いもそうですが、今考えると本当にラッキーだったと思います。彼らのお陰で僕はマーケティング・リサーチにのめり込むことができたのですから」。

 マーケティングのPh.D.取得に関しては、未だに教師も科目自体も少ないままの日本とは対照的に、アメリカでは当時からそれらの体制が充分なほどに整っていた。ビジネスシステムやランゲージ、カルチャーをきっちりと体系的に教えてくれるアメリカの大学で、いつの間にか自分でも驚くほどこの分野にのめり込んでいた。そしてPh.D.取得後も「まだまだ足りない」と選択した進路は、日本へ帰国することでも、ビジネスマンになることでもなく、アメリカに残ってマーケティング・リサーチを突き詰めることだったのだ。



もがき苦しんだ時代があったからこその今


 しかしながら在学中は、自分が教師になるとはつゆも思わず。たまたまフランク・バスが、自分の担当学生を良い大学に就職させることに尽力しており、その運の流れに乗ったのが教師という仕事だったのだ。それまでは「好きなことを存分勉強できて、毎日嬉しくてしょうがなかった」という大学時代だったが、渡米して2年目の彼に、ここで一つの試練が訪れることになった。

 「授業中に生徒の言っていることがよく聞きとれないという、英語面での大きな壁にブチ当たったのです」。語学習得の過程で時間がかかるのはスピーキングだというのは一般的によく言われること。だが日本とは違い、学生も積極的に授業に参加するアメリカの大学で教壇に立つとなると、事情が少し違ったようだ。

  「英語というのは話すことや書くことは自分でコントロールできる。でも難しかったのは、学生同士のケース・ディスカッション。例えば一対一の会話だと、理解できない場合は“もう少しゆっくり話してくれますか?”とか“それどういう意味?”と聞き返せますけど、授業中はそういうこと言っていられないわけですよ。しかも学生同士でガンガン主張して、聞き慣れない英語がバンバン出てくる。途中で生徒たちが何を言っているのかさっぱりわからなくなり、冷や汗しか出てこない。仕舞いには学生が私の担当だったフランク・バスのところに文句を言いに行く始末でした。そりゃそうでしょう、向こうはお金を払って真剣に授業をとっているというのに、教授は学生同士の会話が理解できないのですからね」。

 しかしフランク・バスの対応はこうだった。
 「彼は度量の広い人でね、学生からの苦情にも“ノー・プロブレム!”と言うのです。“とにかく授業を続けろ”と。彼は当時学長よりも力がある人だったので、“高田にやらせろ”と鶴の一声があれば、誰も文句が言えないわけですよ。僕はまたその日から夜も眠れない日々が続いていくことになるのですが(苦笑)、今思うとそれもトレーニングの一環だったんですね。あれは本当に貴重な体験でした。あの苦労がなければ今の自分はないだろうと思います」。



 出口の見えない真っ暗なトンネルの中。光の射す方向がどちらかもわからない状態で、とにかく前に進めと一押ししてくれたフランク・バス。そして、もがき苦しみながらも歩を進め、途中で諦めずに出口に到達できたのは、高田本人の精神力の強さと努力の賜物だろう。80歳を過ぎた今でもテキサスで元気に暮らしているフランク・バスとは、以来ずっと家族同然の交流を続けている(※注)。

 「前例のない東洋からの留学生を抱え、彼は相当に苦労されたと思うのですが、一生懸命に見守ってくれたことに本当に感謝しています。僕にとって恩人であり、アメリカの親父さんと呼ぶべき方です」。



アメリカで勝ち残るカギは、教育とコミュニケーション能力


 さて、日本の大学の教授は永久就職しているのが一般的だが、アメリカの大学ではテニュア制度(終身在職権)というものが採用されている。このテニュア制度の審査の基準は3つあり、生徒による教授の評価の「ティーチング・エバリュエーション」、「リサーチ」、そして「サービス(委員会参加など大学への貢献度)」という、大学教授にとってはたいへん厳しく狭き門だ。

 「その厳しさ故に、この国では緊張感のあるいい教育が提供されているのではないか」と分析する高田。そしてこの整った教育制度を、かつての彼がそうであったように、「アメリカで道を切り開きたいのなら、フルに活用する手はない」とアドバイスする。「別にアイビーリーグだけがいいのではなく、コミュニティ・カレッジのレベルからいろんなプログラムがあるので、そこからスタートして、予算や目的に合ったプログラムを選択し、レベルアップをしながら啓蒙していくのも手です」。

 日本人にとっては、この国で教育を全うすることもさることながら、仕事を得、キャリアアップを図っていくことも大きな難関である。大学教授にしても、一つポストが空くとそこにアプライが殺到し何十倍もの競争率となるように、アメリカ人でも大学に就職するのは容易いことではない。しかしながら高田のような存在は、我々に努力すればこの国では道が開けるということを教えてくれる。外国人でありながらもアメリカ人と対等に肩を並べ勝負するには、他には何が必要なのだろうか?

 「コミュニケーション能力でしょうね。言葉だけの問題ではなく、理解しようと努める姿勢が大切ですね。日本人としかつるまないとか食べるのは日本食のみ、夜はカラオケ、観るのは日本のビデオなどはもう問題外。うちの大学の日本人留学生にも口を酸っぱくして言っているのは、せっかくすばらしい環境で勉強しているのだから、ここに来た以上日本語をシャットアウトするぐらいの気持ちで幅広く人と交流し、いろんなことを吸収し学んでいきなさいということです」。



グローバル・スタンダードで勝負するのなら、外に目を見開く

 さらに高田は様々な国の生徒を抱える視点からも、こう話を続ける。
「自分のアイデンティティを持つことは絶対に大切。僕のPh.D.の授業でも、韓国や台湾、香港、トルコやインドなどといろんな国からの留学生がいますが、日本人と違うのは、物怖じせずにきちんと自己主張し、自分の考えを理路整然と話すことです。それはどこからくるのかというと、やはり彼らの文化に則ったアイデンティティからなんだと思います」。

 そして、中でも勢いがあるのは、韓国人留学生だという。「彼らはMBAとPh.D.を取り、そのままこちらで就職して永住するぐらいの覚悟で来ています。自分の一生がかかっているから、学ぶ姿勢も全然違います。経済界を見ていてもそうだけど、車はヒュンダイの売り上げがどんどん伸びている。電器メーカーも、サムソンには日本のソニー、日立、東芝三つ巴でがんばっても追いつかないぐらい。このように世界規模で見るとトレンドは韓国勢です。そして彼らのビジネスのやり方見てみると、やはりグローバル・スタンダードでやっていますから、まさに日本にとっては戦々恐々なわけです。そんな中、石原都知事の「嫌米」発言などを聞くと、アメリカはブッシュ大統領みたいなのばかりだとか、ホモ・ジーニアスに捕らえられているなぁと感じずにはいられません。いつまでも日本は日本のやり方があるなどと言ってうかうかしているとエライ目に合うような気がします。自国のアイデンティティを大切に持ちながら、日本だけではなくもっと外に目を見開くことが必要なのではないでしょうか」。

 「日本の広告代理店時代にチンプンカンプンだったのは、英語というより、きっとマーケティングというテクニカルな言語だったのだろう」と今の高田は振り返る。ビジネスがグローバル・スタンダードで展開している以上、それを英語で学ぶということは切っても切り離せないのだろう。その場合、やはりアメリカで学ぶのがよいのか?

 「ヨーロッパやアジア各国にもたくさんいい学校はありますよ。例えばフランスのINSEADやHEC、Essec、スイスのIMEDE、それにシンガポールなどにもいい学校があり、授業は英語で行われています。勉強はいつからでも遅いということは決してありませんから、興味があるのならいろいろと調べてみるといいですよ。ちなみに僕の授業にも、結婚して子どもがいる人、フルタイムの仕事をしながらの人など様々な生徒がいます。実際に働き出して自分に足りないものが何かを知って学校に通いだす生徒が多いのです。彼らの多くは学費を自ら捻出したり、ローンを組んだりして通っており、そういう生徒は目つきから違いますね。生涯勉強ということでしょう。僕もまだまだその過程です」。

文中敬称略

(※注)フランク・バスさんは、この取材後の昨年末にご逝去されました。

【2007年1月】
(取材・写真/安部かすみ Kasumi Abe)


◆ バルーク・カレッジ
http://www.baruch.cuny.edu/


【略 歴】
東京都生まれ。
78年 渡米。
80年 ノースウエスタン大学にて経営学修士を取得。
84年 パデュー大学にて経営学博士号を取得。同年、カリフォルニア大学経営大学院助教授となる。
92年

1992年、ニューヨーク市立大学経営大学院(バルーク・カレッジ)でPh.D.やマーケティングの教鞭を執る。
現在
東京大学経済学部客員教授、学習院大学経済学部客員研究員も兼任。

   


 



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