

ニューヨークで定評のある雑誌「ニューヨーク・マガジン」から、2003年に「ベスト・フェイシャル賞」、
2004年に「スキンケアのカリスマ賞(Skin Care Guru)賞」、2005年には「ベスト・アンチエージング・フェイシャル賞」を受賞。今年1月には、第10回ライジングスター賞の候補者に指名されるな ど、美容界のプロとしてだけではなく、実業家としての揺ぎない地位を確立しているシズカ・バーンスタインさん。
「和風スパのデビュー」と米国のスパ業界に旋風を巻き起こした「シズカ・ニューヨーク」を開設して、早8年。
世界をリードするビックアップルNYに根付き、サクセスを手にした日本女性の一人だ。
しかし実際は、3人の子供達を育てながらの波乱万丈の人生。
試行錯誤しながらの異国での生活は決してたやすいものではなかった。誰もがうらやむ成功の背景には、人一倍の苦労と努力があったことは言うまでもない。
シズカさんが、はじめてニューヨークの地を踏んだのは1987年。駐在員の妻として海外生活のスタートをきった。しかし、根っから好奇心、向上心旺盛のシズカさん。専業主婦としての生きがいが見出せず、抑制された人生に疑問を持つ。そして、離婚。二人の幼い子供を抱えて、シングルマザーとしてニューヨーク での自立を強いられる。
「8年間専業主婦でしたし、当時は合法的に働けるビザもなく、仕事探しは困難でした。子育てをしながらの就職活動。大変な時期でしたね」と当時を振り返る。たまたま、日本で習っていたダンス講師とのコラボレーションで、スタジオ開設/運営を手がけることになる。しかし、ニューヨークでのビジネス事情に疎い素人商売で、トラブル続き。雇った建築家のライセンス不備が発覚したり、NY市への必要書類申請が欠如していたりと、初歩的なミスが積み重なる。最終的には閉鎖、訴訟に追い込まれ、精神的、金銭的に大きなダメージを受ける。挙句の果てには、ストレスが起因の内臓病にも次々と悩まされ、心身ともにどん底まで突き落とされることとなる。
「貯蓄を切り崩し、明日のことを心配して生きる生活。とにかく大変でした。でも自分で選んだ道だから、ここであきらめたら負けだ。子供の人生も狂わせてしまっ ている以上、責任を取って結果を出すべきだ、と自分に言い聞かせました。『子供たちのためにも、限界までやるしかない』と必死でしたね」。
オ フブロードウェイ・ミュージカルの「ブルーマン・グループ」へ、夢を買うつもりで行った小さな投資からの回収を生活資金にあて、葛藤の日々を続けていくシズカさん。言葉では語り尽くせない苦悩やストレスがあっただろう。しかし、今振り返れば「この時に頑張れたこと」が、今の人生の大きな糧になっているという。

| 1980年 | サンフランシスコに短期留学 |
| 1987年 | 駐在員の妻としてNYに渡米 |
| 1990年 | ニュージャージ州のChee G. Kim, M.D.メディカルオフィスのマネージャー |
| 1991年〜 1992年 |
In-Pulse Inc. ダンススタジオのプロモーション事業のマネージャー |
| 1992年〜 1993年 |
ニュージャージ州、The 0123 Van Lines, Inc.の経理担当 |
| 1993年〜 1994年 |
Neil Weinrib, P.C. 法律事務所のリーガルアシスタント |
| 1994年 | エステとエレクトロジストのライセンスを習得 |
| 1995年〜 1996年 |
Sasha Hair Salon and Spaのエステシャン |
| 1995年〜1998年 | Philip Bruder, M.D. でメディカルエステシャン&エレクトロジスト |
| 1999年 | シズカニューヨークを創立 |