世界の文化と人種の交差点、タイムズスクエアのど真ん中にあるロイターの収録スタジオ。世界中の最新ニュースを発信するメディアの殿堂だ。ここに、ハイヒールとピンクのスーツ姿で颯爽と現れた我謝さん。凛とした大人の女性の魅力が漂う。ロイター唯一の日本人女性テレビ記者として、平日は米国株式市場のニュースを、週末はその週の経済や政治関連の出来事をまとめた「ウィークリー」を、カメラの前で自ら報道する。企画、取材、分析、執筆、出演と全てを任される日々の仕事は極めてハード。しかし、流暢な英語力と日本のテレビ局で身につけたオールマイティーな報道スキルで、彼女はこれをテキパキとこなす。誰もが羨む国際派ビジネスウーマンであることは言うまでもない。
つい最近は映画監督としてのデビューを果たし、さらなる才覚を発揮する我謝さんだが、そのエネルギーの原点は、「娘との大切な時間」にもあるようだ。仕事と子育てのバランスを上手に取りながら、日本へ、そして世界へと熱いメッセージを送り続ける我謝さん。彼女の、ひたむきでパワフルな人生に接近してみる。
私は私のままであり、自然体でいればいい
「物心がつく前から母親に日本舞踊を習わされ、3歳ですでに東横ホールの舞台に立っていた」という我謝さんは、トラディショナルな厳しい家庭で育った。茶道や日本舞踊をやりながら、中高時代も私立の女子校で学業に専念。当時は「私の青春は何なんだろう?」という反発心もあったという。しかし、高校時代にイギリスに1ヶ月、オレゴンに1年留学する機会があり、親元を離れ世界と接触することで、彼女の人生観が少しずつ変わっていく。オレゴンから戻った後、高校生の我謝さんは、「Accept Me (私をそのまま認めて)」というエッセーをシリーズで書き始めた。
「親の望む『いい子』にならなくてもいい。答えは一つではない。私は私のままであり、自然体でいればいいんだ、ということに気づいたのでしょうね」
世界に魅せられた我謝さんは、大学時代にもマサチューセッツ州に留学へ。そこで見た「ニュースマンの一日」という映画に鼓舞されて、テレビ局への就職を決意。卒業後はテレビ東京に採用され、報道局へ配属される。
当時は雇用均等法が施行されたばかりで、女性の総合職は少数。メディアの第一線である記者職は大変だったかと思いきや、
「いえいえ。仕事は楽しくて楽しくて。独身だし、若いし、体力はあるし、男性と同じ仕事もできる。夜中の2〜3時まで働いても全く苦になりませんでした。仕事に恋してましたから」
しかし、やはり目に見えない疲れやストレスが溜まっていたのだろう。数年後には卵巣が腫れる病に患い、片方の卵巣を摘出。もう片方の卵巣を薬で治療していたが副作用が強く、担当医に妊娠の選択肢を出されて、29歳で出産。「母になる」という決断が、その後の彼女の人生に大きな影響を与えていくことになる。